文学レビュー『暗いブティック通り』(パトリック・モディアノ)

ゴンクール作家、パトリック・モディアノの1978年の作品です。

モディアノの作品は、割と読みやすいことから、フランス語学校の文学や読解の授業で良く使われています。

ミステリー要素のあるこの作品、ずっと読みたいと思っていましたが、ずいぶん寝かせてしまいました。
やっと、邦訳でですが、読むことができました。

物語は、主人公ギーの務める探偵社の閉鎖のシーンから始まります。

時代は1965年のこと。

ギーと社長のユットとの会話から、ギーは10年ほど前から記憶を無くしていることが明らかに。
ギーという名前すら仮名のよう。

彼はちょっとした手がかりから、過去の自分を知るかもしれない人物を訪ねていく。

そこで聞いた話から、一度は自分の本名を確信するも、間違いと分かり、また自分探しの旅へ。

彼は、誰かを訪ねるたびに、写真やら手帳やら、何かしら古いものをもらう。
そこから別の人の名前を手に入れたり、探偵の手腕を駆使したりして、真実を手にしていく。

昔の知り合いかもしれないし、そうではないかもしれない、ただ関係がありそうなだけの人たち。

少なくともギーの記憶にはない。

彼らはなぜ、ギーに昔の名残が詰まった品々をくれるのだろう。
ギーの訪問は、彼等にとって、何らかの心の区切りになっているのだろうか。

そしてギーは、自分の本名や妻の名前に行きつき、少しずつ、昔のことを思い出していく…。

ギーは自分のことを思い出すまでの間、自分が何者であるか、様々な推測をします。

何しろ、人種のるつぼであるフランスでのこと。
フランス語が流暢に話せるからと言って、フランス人とは限りません。
身分もさまざま、住んでいたかもしれない場所もワールドワイド。
しかも、彼の過去には戦争も絡んでいるので、さらに多くのことが不明確なのです。

自分は何人で、どこで生まれ、どに住み、どんな生活レベルで、何の仕事をしていたのか。
そして、戦時中から戦後にかけて、どんな状態であったのか。

それらが全く記憶にないまま、何年もユットに助けられて生きてきたというのも、信じがたいことです。

もしかしたら、思い出したくなかったのかもしれません。

最後に、彼は自分をよく知るはずの昔の友人を訪ねますが…。

ギーの正体が判明したところで、まだどこか、霧の中にいるような気分が残ります。

訳者のあとがきにあるように、ミステリー要素があるものの、これは推理小説ではないのです。
スッキリ解決、とは言えません。
でも、その余韻こそが、モディアノの作品の魅力でしょう。

タイトルの「暗いブティック通り」は主人公の住むパリではなく、ローマにあるそうです。
作中で、ギーはローマに行くこともなく、イタリアの話題も出ません。

それでも、このタイトルは訳者の言う通り「深層で大きな役割を果たしている」のですね。

日本語の語感としても、印象的なタイトルとなっています。

また、この邦訳は、初版は1979年に出たそうですが、その後、2005年に再版されています。
これも訳者のあとがきによると、『冬ソナ』ブームが到来したとき、このドラマのシナリオを書いた方たちが、『暗いブティック通り』に影響を受けたと言ったため、日本でこの小説が再度読まれるようになったんだとか。

それからさらに20年経っていますが、全く色あせることのない、これからも読み継がれるだろう作品です。

★『暗いブティック通り
 パトリック・モディアノ 著 /平岡 篤頼 訳
 原題:Rue des boutiques obscures
 出版社:白水社
 発売日‏ : ‎2005/5/25
 ISBN:978-4560027257

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