文学レビュー『ボーヴォワールとサルトルに狂わされた娘時代』(ビアンカ・ランブラン)

Mémoires d'une jeune fille dérangée

『ボーヴォワールとサルトルに狂わされた娘時代』。
ちょっと刺激的なタイトルです。

ボーヴォワールとサルトルと言えば、超有名な哲学者カップル。

著者のビアンカ・ランブランはこの二人両方と恋人だったそうです。

ボーヴォワールの死後に出版された書簡集と日記を読み、彼女は衝撃を受けます。

ずっと、ボーヴォワールに騙されていた!

著者は、ボーヴォワールの晩年まで友人関係を続けていたそうですが、ボーヴォワールはサルトルと自分の関係について裏で糸を引き、ずっと自分を裏切っていたと憤慨しています。

ラストでははっきりと「サルトルとボーヴォワールは疫病神以外の何物でもなかった」と綴っています。

文句を言いたい人が故人なら、怒りをぶつけることもできず、出版に踏み切ったのかもしれません。

ただ、真実は私達には分からないもの。
著者側の意見として読むしかないのですが、この本の面白さはそこではありません。

戦争前後の文学者たちの居た世界が、生き生きと描かれているところに、興味を覚えました。

戦争真っただ中の章では、ボーヴォワールもサルトルもほとんど出てきません。
それどころではない、戦時中のリアルで理不尽な情景が心に迫ります。

著者はユダヤ人家庭で生まれたため、ヴィシー政権下のフランスで、どんなに危険な状況に居たか。
実際、彼女の親せきはアウシュビッツに送られたようです。

彼女はユダヤの伝統にも疎く、信仰心もないそうですが、それでも、ナチは彼女をユダヤ人として追い詰めようとしました。

それどころか、ボーヴォワールも彼女を潜在的に差別していたといいます。

各地を転々としつつ、危機一髪で危機を乗り越え、レジスタンスに手を貸しながら、なんとか戦後を迎えた様子は、当事者じゃないと書けないものだと思いました。

そして、サルトルとボーヴォワールの晩年の様子もしっかり書かれています。
彼らが出てくると、ちょっぴりフィクションっぽく感じるのは、もはや歴史上の人物と見なせるからでしょうか。

彼らの伝記や考察はすでにたくさん出版されていますし、映画にもなっていますが、彼らと恋愛で絡み、晩年まで知る一人の女性の心のうちが描かれた本作では、より人間味を持って彼らのことを知ることができるでしょう。

哲学に全く興味がなくても、時代の手記として読めそうです。

★『ボーヴォワールとサルトルに狂わされた娘時代
 ビアンカ・ランブラン 著 / 阪田 由美子 訳
 原題:Mémoires d’une jeune fille dérangée
 出版社:草思社
 発売日‏ : ‎1995/4/1
 ISBN:978-4794206114

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