サルトルとボーヴォワールの「自由恋愛」は有名なので、この映画の内容も予想がつく気がしていました。
でも、評判が良かったので見に行くことに。
サルトルとボーヴォワールは、結婚はせずに生涯パートナーであり続けたカップル。
特にボーヴォワールは、家庭に縛られた慣習から女性を解放したともいえる、実存主義の女王。
でも、「自由恋愛」は、ボーヴォワールにとって、本当に幸せな契約だったのか、と考えさせられました。
サルトルの都合だけじゃないの?
確かに、結婚にはこだわっていなかったかもしれないけれど、自分だけを見ていてくれる恋人のほうがいいに決まっている。
サルトルは、彼女に仕事を手伝わせ、精神的にも支えてもらいながら、特定の愛人を作っていて、愛人との結婚は考えていたり。
なのに戦争中、ボーヴォワールは、サルトルの恋人の世話さえしていました。
自由恋愛や契約結婚は、本当に心から二人ともが納得しないと、どちらかが辛いだけじゃないだろうか。
サルトルとの仲が続いているのは「私が強いだけ」とボーヴォワール自身も言っている。
だから、後半、ボーヴォワールにアメリカ人の恋人、オルグレンが現れたとき、私は胸がすく思いがした。
オルグレンは彼女に熱烈にプロポーズをし、ボーヴォワールも初めて「妻になりたい」と言った。
それでも、彼女は結局オルグレンとも結婚せず、「オルグレンの指輪をはめて、サルトルの隣で眠っている」そうだ。
オルグレンと一緒に居ても、周りの人たちはサルトルとの仲を「キュリー夫妻のよう」とか言っていて、オルグレンが可哀想でした。
サルトルは、仕事上では、欠かせないパートナーだったとしても、恋人と言えるのか?
オルグレンと結婚して、サルトルとは仕事だけ一緒にやればいいのに、と思ったけれど、それでは「実存主義の女王」ではいられないのか?
やはり、サルトルとボーヴォワールには、他の人や、ましてや後世、彼らの小説や論文や、映画でしか彼らを知ることのできない私なんかには、とても理解できない絆があったのかもしれない。
そして、ボーヴォワールには辛かったであろう、「自由恋愛」によって、彼女の作家としての才能が伸びたのかもしれない。
サルトルは、そこまで計算していたのだろうか。
少し前、NHKの「テレビフランス語講座」でも、この二人の愛について取り上げられていて、普通のフランス人に彼らの愛についてどう思うかインタビューしていました。
賛否は両論。
結婚する人が少ないフランスだけれど、この二人の関係までは難しいんじゃないのかな、という気がします。
愛について考えたい人はぜひ見てください。
★『サルトルとボーヴォワール~哲学と愛』
2006年製作/105分/フランス
原題:Les amants du Flore
監督:イラン・デュラン・コーエン
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